18年ぶり6度目のリーグ制覇
阪神、18年ぶり6度目のリーグ制覇達成!優勝マジック「1」を駆使し、9月に11連勝を果たし、球団史上最速でのリーグ優勝となりました。
岡田監督は胴上げの瞬間、何度も宙を舞いました。
スタメンは以下の通りで、不動のオーダーで挑みました。
1近本光司(28)センター
2中野拓夢(27)セカンド
3森下翔太(23)ライト
4大山悠輔(28)ファースト
5佐藤輝明(24)サード
6ノイジー(28)レフト
7坂本誠志郎(29)キャッチャー
8木浪聖也(29)ショート
9才木浩人(24) ピッチャー
先発の才木浩人(24)は、この試合前に7勝5敗、防御率2.10を記録していました。
1回から長野、門脇、丸を連続空振り三振、捕邪飛と3人で退け、力強い立ち上がりを見せました。
一方、巨人の先発・赤星に対して打線は1回に中野の内野安打と森下のヒットで1死一・三塁という好機を迎えましたが、大山は遊ゴロ併殺打で先制することはできませんでした。
才木は2回にも先頭の岡本和にヒットを許すも、坂本、秋広、岸田を打ち取り、4回まで得点を許しませんでした。
4回の攻撃では中野、森下、大山の三者連続ヒットで無死満塁の好機が訪れましたが、佐藤輝は空振り三振、ノイジーは投ゴロ併殺打と得点を挙げることはできませんでした。
5回まで両チームともに無得点が続き、才木は6回も長野、門脇、丸を三者凡退に抑えました。
6回の攻撃で近本がヒットから出発し、中野が中飛を放ち、森下のヒットで1死一・三塁という好機を迎えました。
大山はセンターへの犠飛を放ち、先制点を挙げました。
そして、佐藤輝がセンターバックスクリーンに2試合連続20号2ランを打ち込み、スコアは3-0となりました。
佐藤輝の新人から3年連続20本塁打は球団史上初という快挙でした。
才木は7回に先頭の岡本和に対して39号ソロホームランを浴び、1点を許しましたが、その後の攻撃を抑え、7回を87球、3安打、1四球、5奪三振の1失点で降板しました。
打線は7回に坂本がヒットから出発し、木浪の犠牲フライで1死二塁という好機を迎えました。
代打の原口文仁は二塁飛ばしましたが、近本の打球を中山が後逸し、坂本が帰還し、スコアは4-1となりました。
8回には岩貞祐太が代打の北村拓にヒットを許し、大城卓にレフトへのタイムリーツーベースを打たれ、スコアは4-2となり、岩貞は降板しました。
代わって登板した石井大智は無死二塁から長野を三ゴロに打ち取り、島本浩也が代打の萩尾を見逃し三振に斬り、丸を空振り三振に斬りました。
9回には岩崎優が1死から坂本に対して19号ソロホームランを浴び、スコアは4-3となりました。
その後も秋広にツーベースを許しましたが、代打の梶谷を二塁ゴロ、最後は北村拓を二ゴロに打ち取り、リーグタイ32セーブ目(3勝2敗)を挙げました。
才木はこの試合で8勝目(5敗)を記録しました。
『アレ』という意味に込められたスローガン
阪神タイガースが、前年の10月に岡田彰布監督(65歳)が08年以来の2度目の指揮を執るという新たなスタートで、優勝という言葉を避けて「アレ」と表現し、シーズンのスローガンを「A.R.E.」(目標:Aim、敬う気持ち:Respect、パワーアップ:Empower)としてローマ字の読み方から「アレ」に決め、シーズンに臨みました。
チームは、DeNAとの開幕3連戦でサヨナラ勝ちを含む3連勝で素晴らしいスタートを切り、4月を貯金3で乗り切りました。
5月には7連勝に1敗を挟み、9連勝を記録し、月間で19勝を達成して、球団最多タイの記録を樹立し、5月14日にはDeNAに代わり単独首位に立ちました。
しかし、交流戦では今季初の3連敗などで、7勝10敗1分の成績で10位で終了しました。
交流戦明けの初戦でDeNAに3連敗し、今季唯一の5連敗となり、6月25日にDeNAと首位が交代しました。
ただし、DeNAの失速もあり、首位を再び奪い返しました。
7月には11勝8敗3分と安定した成績を収めていましたが、広島が6月終盤から7月にかけて10連勝を果たし、猛烈なペースで勝利を積み重ね、7月27日に一時的に首位を明け渡しました。
8月に入り、チームは16年ぶりの10連勝を記録し、状態は急上昇し、8月16日には広島との直接対決に勝利し、優勝マジック「29」を点灯させました。
マジック点灯後、チームは6連勝を記録するなど、順調にマジックを減少させていましたが、8月29日に一時的にマジックが消滅しました。
しかし、9月1日に阪神がヤクルトに勝利し、広島が中日に敗れたため、マジック「18」が再び点灯しました。
9月は甲子園での広島との直接対決で3連勝し、球団史上初のシーズン2度目の10連勝を達成し、さらに41年ぶりの11連勝を記録し、勢いはまったく収まりませんでした。
これにより、61年ぶりにセ・リーグ全球団に勝ち越し、完全優勝を果たしました。
投手陣では、プロ未勝利だった3年目の右腕・村上頌樹(25歳)と、現役ドラフトでソフトバンクから移籍した左腕・大竹耕太郎(28歳)が、ともに10勝を挙げてチームをけん引しました。
打撃陣では、近本光司(28歳)は1番打者として2度の死球で離脱したものの、リーグ最多の26盗塁を記録し、チームをけん引しました。
また、大山悠輔(28歳)は開幕から1度も4番・ファーストを外れず、中心打者として安定した成績を維持しました。
阪神タイガース優勝の歴史
阪神タイガースのセ・リーグ優勝日の歴史には多くの記念すべき瞬間が刻まれています。
ここでは、その中でも特に輝かしい瞬間を振り返り、その背後にある人物に焦点を当ててみましょう。
1962年10月3日、133試合を戦い抜いた阪神タイガースは、藤本定義監督の指導のもと、セ・リーグ優勝を達成しました。
この年の優勝は球団史上初のものであり、阪神ファンにとって忘れられない瞬間となりました。
藤本監督はその采配と指導力でチームを優勝に導き、阪神の歴史に輝かしい一ページを刻みました。
続いて、1964年9月30日、139試合を戦った阪神は再び藤本定義監督の下でセ・リーグ優勝を果たしました。
藤本監督のリーダーシップと采配が再び光り、阪神は2度目の優勝を達成しました。
この時期の阪神は強力な打線と投手陣を擁し、リーグを席巻しました。
そして、1985年10月16日、125試合を戦い抜いた阪神は、吉田義男監督のもとで優勝しました。
この年は吉田監督の下で阪神は圧倒的な強さを見せ、リーグ優勝を果たしました。
吉田監督はその厳格な指導で選手たちを奮起させ、優勝に導いたことで名実ともに名将としての地位を確立しました。
2003年9月15日、128試合を戦った阪神は、星野仙一監督の下で優勝を達成しました。
星野監督はそのユニークな采配とチームへの情熱で阪神を優勝に導き、久々のセ・リーグ制覇となりました。
星野監督の指導のもと、阪神は再び勢いづきました。
2005年9月29日、141試合を戦った阪神は、岡田彰布監督の指導のもとで優勝を達成しました。
岡田監督はその厳格な指導と野球に対する情熱で阪神を優勝に導き、長年のファン待望のリーグ優勝を実現させました。この年の阪神は、攻守において高いパフォーマンスを発揮し、セ・リーグ優勝を果たしました。
そして、2023年9月14日、128試合を戦った阪神は、再び岡田彰布監督の下で優勝を達成しました。
岡田監督はかつての指揮時からチームを率い、再び優勝の瞬間を迎えました。