世界中で親しまれる日本のうどん。
小麦から生まれるこの麺が、日本国内では庶民の味として、また祝い事の席でも食卓を彩ります。
しかし、その歴史やバリエーションは多岐にわたり、地域ごとに異なる風味が楽しめるのです。
本記事では、うどんの基本からその歴史までを探り、海外でどのように受け入れられているのかも窺っていきましょう。
【要約】
- うどんは日本の庶民料理で、祝い事でも食べられる。
- 発祥には複数の説があり、歴史は多様で広がりがある。
- 海外では日本食ブームにより、香港や台湾でも親しまれている。
うどんの概要
うどんは、日本の麺で、小麦粉をこねて長く切ったものや、それを使った料理です。
庶民的な食べ物であり、主食としても祝い事の際にも食べられています。
地域によっては調理法や具材が異なります。
茹でるときには、大きな鍋で麺を茹でるために「鉄砲ざる」や「テボざる」と呼ばれる深いザルが使われることがあります。
供する器には、丼や皿、ざる、鍋、桶、たらいなどがあります。
うどんは、蕎麦と一緒に提供する店舗や、外食チェーン店でもよく見られます。
また、スーパーマーケットでは乾麺や生麺が販売され、多くのメーカーが様々な種類のカップ麺を販売しています。
価格帯も広範囲です。
自動販売機でも買えるうどんは、カップ麺だけでなく、茹でて温かいものも選べます。
うどんの歴史
うどんの発祥にはいくつかの説がありますが、時代順にまとめると次のようになります。
1.遣唐使が索麺の製法を中国で学び、帰国後に五島の人々に伝えたとされ、地理的にも有力な説です。
2.奈良時代に遣唐使が唐から渡来した小麦粉の餡入りの団子菓子「混飩(こんとん)」が発祥とされる説もあります。
3.空海が平安時代に遣唐使として唐から帰国し、饂飩を四国に伝えて讃岐うどんが誕生したという伝説もあります。
4.平安時代の989年、一条天皇が奈良で「餺飥」を食べたとする説も存在します。
5.仁治2年(1241年)に宋から帰国した円爾が製粉技術を広め、うどんの文化を育てたとする説もあります。
6.中国大陸から渡来した切り麦が日本で独自に進化したとする説も考えられます。
7.室町時代には「索麺」や「截麦」の記述があり、うどんの前身とされる冷麦も存在しました。
いずれにせよ、江戸時代前期には現代のうどんが全国的に普及し、広く食べられるようになりました。
海外でのうどん
日本食ブームにより、日本食レストランだけでなく、スーパーマーケットなどでの販売も増え、レトルトや冷凍麺が家庭料理で一般的になっています。
香港では「烏冬麵」と書いて「ウードンミン」と発音され、中国大陸でも見られるようになりました。
ただし、「烏龍麵」という表記は「ウーロンミン」と訛るため、「烏龍茶」とは無関係です。
台湾では「烏龍麵」や「烏龍湯麵」と呼ばれ、スープはやや現地風になっていますが、基本的には日本のうどんと大差ありません。
韓国では日本統治時代に日本式のうどんが伝わり、「우동(ウドン・udong)」として親しまれています。
味は多少異なりますが、韓国人の好きな日本料理として定着しています。
ベトナムのホイアンには、17世紀前半に伊勢商人がもたらしたとされる「カオラウ」があります。
ハワイでは日本人の移民により生まれた「サイミン」があり、中華麺を使用していますが、和風の出汁の味が特徴です。
パラオでは日本統治時代の影響から「UDON」が存在し、沖縄そばの影響も見られます。
外国人旅行者のアンケートでは、寿司やラーメンに次いでうどんが5位にランクインし、日本を訪れた外国人が特に満足する食事の一つとなっています。
【まとめ】
- うどんは日本の庶民料理で、祝い事でも食べられる。
- 発祥には複数の説があり、歴史は多様で広がりがある。
- 海外では日本食ブームにより、香港や台湾でも親しまれている。
「うどんの旅」を振り返ります。
日本の庶民の味から祝いの席まで、多彩な魅力が広がります。
歴史の謎や異なる風味、そして海外での受け入れ。
うどんは単なる食べ物以上の文化を背負っています。香港や台湾での人気も証明。
日本の食文化を象徴し、国境を超えて愛される存在です。
これからも、うどんの美味しさと多様性が世界中で広がり続けることでしょう。
うどんの愛と歴史を共有し、未知の一杯に出会う旅は続きます。
【脚注】
最後まで記事を見て頂きありがとうございます。